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2011.03.14

地震と股関節

11日金曜日に起こった巨大地震…
信じられないような状況が日々明らかとなり、さらに信じられないような状態に進みつつある中…

被災された皆さまには心よりお見舞い申し上げます。
また、犠牲になられた多くの方々には、もう、言葉もありません…
深く深く、お悔やみ申し上げます。

そんな中、私自身の体験など、恵まれたものであるのですが、脚の状態のこととも合わせ、書いておこうと思います。

地震が起こったとき、私は港区の会社にいました。
揺れは今まで経験したことのない大きなものでしたが、ビルの2階だったこともあり、物が倒れたり落ちたりは皆無。
でも、いつもなら地震でもそのまま仕事を続ける人たちも、あの時ばかりは皆席を立って、外に出た方がいいですよね!と出口に集まり…
しかし、揺れもおさまったのでまた自席へ。

あとはネットで情報収集しつつ仕事を続けましたが、徐々に事の重大さが明らかになり、また、首都圏の交通がマヒしていると分かって、結局それからは仕事も上の空状態。
私は住まいが大宮なので、JRが動かないとどうにもならず、終日運転再開なし、の発表が出たところで会社泊を決めました。

社内では、歩いて帰った人、運転再開した地下鉄・私鉄で帰った人の方が多く、遠距離通勤の侘しさをかみしめ…、でも、私の脚では何時間も歩いて帰ることなんてそもそも無理です。

人によっては椅子を並べて横になって熟睡!された方もいたようですが、私は結局ずっと座りっぱなしで…
0時半頃までは自席でネットを見たりうろうろし、それから朝までは、居残り組で会議室に集まり、TVを見ながらずっと起きてました。
寝たのは、朝方机に突っ伏した15分程度です。
日頃徹夜なんか絶対できない人が、眠くならなかったんですよね。それほど神経が興奮してたんでしょうね…

ここで、時々股関節前面を伸ばすべくストレッチはしていたものの、かなり脚がこわばっていました。

土曜朝になって、JRが7時から動くというので、それに合わせて会社を出て、浜松町まで20分ほど歩きました。
それが結局JRはなかなか動かず…
ここからは私が阿呆だっただけですが、こっちが動かなければあっちへ、あっちが混んでればまた違うところへ、とうろうろしてしまったのです。
浜松町→大門から大江戸線で新宿へ→埼京線で池袋へ、あまりの混雑に恐怖を感じて降りてしまう→再び池袋から乗ろうとしたらものすごい混雑だったので、なぜか丸ノ内線で東京へ→京浜東北が混んでいて乗れず、山手線で上野へ→高崎線を1時間ほど待って乗り、大宮へ→さらにバスが渋滞で時間かかる。
という経路で、6時半前に会社を出たのに、家に着いたのは14時を回っていました。

最後の高崎線とバスは座れたのと、池袋でドトールに一時退避した以外は立ちっぱなし。
ここでもかなり脚にダメージが。

そして、家の状態がかなりひどい、と近所の家の様子を聞いていたので恐る恐る家に入りましたら…。

マンションの7階だからかもですが、それはもう、家の中はぐちゃぐちゃになっていましたーー

玄関を入ると、下駄箱の上にあった額が落ちており、廊下にも物入れから飛び出た物が色々落下。

玄関脇の洋室は、ドアが開かない!中で物が飛んで入口をふさいでいました。
何とか隙間から手を入れて物をどけ、開けてみましたらもう、足の踏み場もなく物で埋まっていました。
箪笥が倒れたりはしていないものの、上に乗せていたものや本棚のものがすべて落ちている。

その隣の、元息子の部屋→現在は物置状態、も同じく物で埋まっています。

またその隣の娘の部屋は、まあ、普段から物で埋まっているので(爆)、さらにその上に、物置と化していたピアノの上の物が綺麗にすべて落ちていました。ピアノの上に一つだけ、ちょこんと置物が残っていたのがちょっと不気味。

洗面所、トイレ、お風呂はどうもなってませんでした。
続くキッチンは…予想通り、床が割れた食器の海に。あああ…

それらを確認してから、おそるおそるリビングのドアを開けました…

やっぱり…、本棚の本が散乱し、CD棚は棚ごと倒れ、床はCDの海になっていて、その下にスピーカーが倒れているのが見えない状態。
反対側のスピーカーも、後ろのCD引き出しに押されて斜めになり…、オーディオラックに倒れ掛かってました。
液晶TVは仰向けに倒れ(逆向きで倒れてTVが壊れたお家もあったそうです)、TVラックは背板が外れてかなりあやうい状態です。

それから和室をのぞきますと…あああ。
和室にスライド書棚を置いて、そこにCDなどをぎっしり詰めた前に布団を敷いて、いつも寝ているのです。
危ないなぁと思いつつ。でもまさか、阪神大震災みたいなことは起こらないだろうと思いつつ。
まさか、は起こるものなのだな、と思いました。
スライド書棚自体は倒れていませんでしたが、中のCDが落ちて海状態になっていたのと、スライド部分の一つは完全に倒れていたのです。
私が寝ている場所がちょうど、その下あたりでした。
もし、夜寝ているときに地震が揺っていたら、下敷きになっていたかもしれません。

夫はちょうど秋田に出張中で、避難所に避難したり苦労の末、日曜夜に帰って来たのですが、和室の状態だけは夫に見てもらわなければ、と思ってそのままに。

写真を撮りつつ、さすがに泣きが入って来た私のもとに、友からの心強い電話。
自分も忙しいときなのに、駆け付けてくれたのです。
まずは台所を片付け、海状態のリビングを何とかせねばと、本棚の本を戻し、CDを寄せて、女2人で高さ180cmのCD棚を元通りに立て、スピーカーを抱き起こし(クレモナの高さ120cmで重いのです!)、反対側のCD引き出しは中身が入ったままなので超重い!のをまたまた2人で起こしてスピーカーを元通りにし。

そこまでしてくれて、友は帰って行きました。
友が来てくれなかったら、私一人ではどうにもならなかったでしょう。
(娘は地震当日はお友達の家に泊まり、土曜は出社していました)
友には大感謝、いくら感謝しても足りないです。ここでも言う、本当にありがとう!

土曜夜は余震に怯えつつ、リビングに布団を敷いて娘と2人で寝ました。
前夜寝ていないのでさすがに、10時を回ると朦朧として思考が働かなくなって。

翌日曜日は娘は出社してしまい1人だったので、ともかく玄関入ってすぐの洋室を片付けようと。
その部屋だけ唯一、散乱したものが私の物…宝塚関係…が多いので。
結構頑張りました。5時間くらいですべて元通り、というか、ついでに整理して少しすっきりさせて。

その日の夜、夫が戻ったので、3人で食事し、片付ける段になって、脚が異常に疲れていることに気づきました。
立っていられないのです。
洗い物をするにも体が支えられず、シンクに肘をついて洗う始末(これが結構楽でした。以前、椅子に座って、を試みた時は、シンクの高さが合わなくて上半身がばりばりになりましたから)

夫はリビングのCDの海を精力的に片付け終え、これで一応生活の場は確保できたことに。
TVも起こして映るようになりましたし。

日曜夜はリビングに2枚布団を敷いて。当分はこのスタイルですね…

そして今日、月曜は、計画停電に振り回され、防災対策を怠っていたツケで、懐中電灯や乾電池を求めてさまようもある訳はなし。
これが驚いたことに、息子の住んでいる浜松や、実家のある大阪京都でも、単1単2の乾電池は姿を消しているのでした…。被災地優先ということで、仕方ないですね。(うちはその後確保できる目処がつきました)

食料品やトイレットペーパーも、どんどん店頭から姿を消しています。
1日3~6時間位の停電で、過剰と思いつつも、トイレットペーパーがないとなると焦ったり(汗)
そんな中、時間どおりに配達に来てくれた生協の個人宅配はとても心強かった。
実は、今日配達予定のカタログに防災セットがあって、注文しようか迷って止めたのでした…バカバカ。

野菜を買いすぎたのでせっせとお料理したりしてたら疲れてしまい、物置部屋の片付けは後回しに。

今日は交通がマヒしてたので会社には行きようがありませんでしたが、明日からどうしよう…
動いたとしても超混雑で時間がかかるとすると、私の脚では無理無理感が。
そもそも、座れるという前提で、通常でも1時間半以上の通勤時間を耐えているのですから、もっと時間がかかって立ちっぱなしで出社して、1日座りっぱなしで仕事したら…脚が壊れてしまう気がする。

幸いいまは責任のある仕事ではないですし、このままフェードアウトしちゃいたいよう、と弱気になってます。
それくらい、脚がきついです。
今日は、立ち仕事を大幅に娘に任せたのでとても楽でしたが…(今日は家族3人とも出社できませんでした)
ほんとだったら今こそ松本先生のところに行きたいのに、どんぴしゃでとっていた予約を泣く泣くキャンセルしました…とてもあそこまで行き着けないもの;_;

被災地の方々は、もっとずっと辛い日々をお過ごしだと思います。
今回、自分もすっかり巻き込まれて余裕がないですが、自分のできることをしっかりやって行かないと、と思っています。

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