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2008.05.17

2008年読了記録15:『死をどう生きたか』

死をどう生きたか―私の心に残る人びと』 日野原重明著、中公新書。

ずいぶん久しぶりの更新になってしまいました…
決して本を読んでいなかった訳ではないのですが、あっちやあっち(笑)に書くことが忙しくなると、ついこちらを溜めてしまって…
複数冊読み終えてしまったので、今日こそは書かねば!と。

日野原先生のご著書の中で、ご自分の著作として紹介されていたので読んでみた本です。
いやしかし…、やはり重かった。重すぎる本でした。

「死をどう生きたか」とはつまるところ、「人生をどう生きてきたか」ということなのですね。それに尽きるかと思います。
最初の何章かは、特に若くして病に倒れて亡くなられた方たちのケースだったので、もう読むのが辛くて…
何せ通勤電車の中で読んでいましたので。

特に涙しつつ読んだのは、「都倉大使夫人久子さん―癌を家族にも秘して」の章でした。
内容も去ることながら、日野原先生に宛てて書かれた手紙の細やかさにも打たれました。
他章でも思ったことですが、教養も社会的地位も高い方々の、やはり人間的にも優れている面がとても伺えて…

また、特に高齢になられてからの闘病の様子など読んで、考えさせられることが。
それは、できるだけ自宅で過ごせるように、との医師の計らいで、家族ぐるみで介護するケースや、やはり最期は自宅で迎えたい、という病人の意向などを読んで思ったことですが…
家族や親や、人のことになるとその通りだろうと思うけれど、さて我が身を振り返った場合…、
私にとっての「自宅」って…?もちろん、自分の家はあるけれど、そこにそんなに執着していないかも、ということに気づきました。家族に、ではありませんよ。「家」という「場所」に、です。
それはいまの私の、外にばっかり目が向いている生活から来るものかも知れないのだけれど^^;
家族の温かささえあれば、場所はどこでも良いかも…と思ったのでした。

それにしても、家族皆で家で看取る、というのは本来理想的な姿ではありましょうが、やはりこれからの時代、なかなかそうは行かないかも知れないですね。
私たち自身、親と共に暮らしていませんし、子供世代と同居している私たち夫婦、というのもかなりあり得ない図だと…少なくとも私は思っていますし。
「心だけは失いたくない」(←どっかで聞いたフレーズだな・苦笑)…というか、「心さえあれば」というか。
(すいません、何を語ってもあちらに結びついてしまう私でありましたーー)

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